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「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.84

「名もない駅で」

我々は次の停車駅で飛び降りた。とりあえず駅長室へ向かいステーションマスターに事情を説明すると「君たちはラッキーだ。27時間遅れの汽車が、3時間後にやってくるので、それでデリーへ行ける」と平然と言うのである。私は安堵したと同時に次の質問に耳を疑った。「ところで君たちはインド人かね?」そうなのである。こんな田舎の名もない駅では駅長といえども外人を見るのは初めてみたいなのである。「日本人ですよ」と答えると「アメリカにあるのか?」というちんぷんかんぷんな質問をされる。何はともあれこれでデリーへ行けると思うと急に笑いがこみ上げて来た。この旅でするべきことは全てしてしまったんだ。長い旅だったが、こんな田舎の名もない駅で旅の終わりを実感したのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」第一部 完

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.83

「振り出しに戻るのか?」

アグラーからデリーまで特急で2時間半の距離。11時アグラー発の列車が1時間遅れで入って来た。いつものように人をかきわけ荷棚の上の席を確保。これで一安心と本でも読んでくつろごうとしているとインド人達が「その席は予約してあるから降りろ」と、とんでもないことを言って来る。しばらく日本語VSヒンディー語で言い合いしてると何となく我々の方が分が悪いということが分かって来る。「どこに行くのか?」「デリー」と答えると車内の緊張は一気に溶けた。「カルカッタのハウラー行きだよ」とインド人達が笑い声で声をかけてくる。そうなのだ、我々は逆方向の列車に乗ってしまったのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.82

1989.jpg

タージ・マハルにて


「タージ・マハル」

この街はタージ・マハルしかない。タージ・マハルがあるから存在する街。完璧なシンメトリーで圧倒的に存在するタージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが妃の為につくったお墓だというのも驚きだ。「正気の沙汰ではない」と惚けた頭でもそれくらいは分かる。と言うかインド人の勝手にガイドが現れタージ・マハルについて色々説明してくれるのである。「そうなのか」と思った瞬間、勝手にガイドは「50ルピー」と催促してくる。あまりにしつこいので10ルピーだけ渡して黙らせる。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.81

「アグラーへ」
この旅でやるべき事を終えた私は惚けてしまっていた。毎日バーニング・ガート(火葬場)へ出かけては、次から次へ火葬される死体を見て一日の大半を過ごしていた。輪廻転生、解脱など様々な思いが去来して、ここからどう動くべきかを探していた。そろそろこの旅も終わりにしようと感じ始め、最後にあのタージ・マハルだけは見ておきたいという気持ちだけがわき起こって来た。そうだ、動かなければ、タージ・マハルのあるアグラーへ行こうと旅心を奮い立たしたのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.80

「カトマンズの変人」

ここまで読んでくださってありがとうございます。私の楽曲の成り立ちを少しでも皆さんへ理解して頂きたいという思いで備忘録を書き進めて来ました。そして、この「カトマンズの変人」は、このような旅を経て完成しました。当時の写真も織り交ぜておりますので、ご覧になって頂ければ幸いです。


カトマンズの変人/竹村公成

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.79

「約束の地」

これを書こうかどうか迷ったのだが、私がインドに来る最大の目的であるので書く事にする。この旅の3年前に父は自殺した。電気コードを胸に回して壮絶な最期を遂げたのである。その自殺の道具をガンガーに納める事が私をインドへ駆り立てた最大の要因である。ダサシュワメード・ガートから小舟に乗って対岸の中州へたどり着くとひとりのサドゥーが、まるで全て分かっているとも言いたげに待っており、そっと私の額にビンディーをつけてくれ厳かな儀式の後、私はその電気コードをガンガーに流したのである。私の旅の目的は、この約束の地で果たされたのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.78

ベナレス.jpg

ダサシュワメード・ガート


1989/10/28
バナラシ(ベナレス)の路地には牛が待ち伏せ人が行き交い上を見上げれば猿がいる。そのなかを葬列が通り過ぎる。突き進めばガンガーにそしてなにやらその気配をする方向に火葬場がある。夕暮れの時間の火葬場はあまりにも強烈で輪廻というものを考えさせられる。生きてゆくものはここで灰になりそして神の世界へ解脱してゆく。目の前の形を消してゆく人の身体が後ろに沈む夕日より強烈に僕の目に焼きつく。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.77

「トリムルティーゲストハウス」

無事、インドに再入国した我々にイギリス人のお姉さんが、タクシーをシェアしないかと持ちかけて来る。別に泊まる場所を決めてなかった我々も渡りに船という状態でOKする。ヨギロッジを目指すが満室だったのでトリムルティーゲストハウスへ向かう。ドミトリー(相部屋)が空いていたので泊まる事とする。我々以外は皆西洋人でなんだか引け目を感じてしまうが、これも貴重な体験だと思い下手な英語であれやこれやと会話すると「ガンジス川の夜明けはとてもファンタスティックなので明日の朝は皆で観に行こう」ということになった。

つづく

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.76

ヒマラヤの落日」

カトマンズからベナレスまでインド国内航空で飛ぶ。大きく旋回する飛行機から朱色に染まるヒマラヤの落日をを見る。ポカラへも行けなかった私にとってはネパール最大の贈り物だ。その後機体はインドア大陸を目指して降下していくのである。再びインドに入るという事で期待と緊張が入り交じった複雑な心境になるのである。結局、入国の際に約束したボーダーでの写真は反古にしてしまったが、それでもなんとかなるというといい加減さに驚くのである。

つづく

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.75

「エアチケットを取るのは大変だ」

T君の病状もかなり回復し、ビザの期限も切れかけているので王宮近くのロイヤルネパール航空のオフィスでインドのベナレスへのエアチケットを予約しに行く。しかし、これが大変な作業で
初日は停電があってコンピュータシステムダウン。翌日来いといわれたので訪れるとまだ復旧していないと笑顔で言われる。ようやく三日目で航空券を手に入れる事ができた。
T君の病状が回復しつつあるといってもあの過酷なバスの旅をするには危険すぎるので飛行機を選んだのである。

つづく
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