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伽奈泥庵 RAGA MALA vol.39

ニレ&バヤン.jpg


去年11月のREED CAFE Liveで共演してくれたニレとバヤンさんのライブを見に谷町八丁目にある伽奈泥庵に行ってきました。ニレはラバーブというアフガニスタンを源とするサロードという弦楽器を弾き、バヤンさんはタブラを叩き、インド古典音楽を演奏してくれました。その後、関西No.1といわれるシタール奏者岩下洋平さんとバヤンさんの演奏。三ヶ月だけシタールを習った事のある私ですが、その演奏はスゴイのひと言に尽きました。
伽奈泥庵は、雰囲気があり今度再始動する「Asian Express」のライブに使わせてもらえたらという気持ちになりました。それにしてもインド古典音楽は奥深いものがあり2時間に渡るライブもあっという間に終わってしまうくらい集中して聴く事が出来ました。
ニレとバヤンさんとは、我々と年に一度はセッションしようということで、今年も11月くらいに出来たらと考えていますので、楽しみにしていてください。
タグ:ズボーク

荒木産業(株)復興応援ライブありがとうございました。

2017復興.jpg


快晴の天候のもと復興応援ライブに参加できましたこと大変意義深く感じております。
復興応援ライブにて集まりました義援金について報告いたします。
募金:44,378円、飲食の売上げ:51,410円の計95,788円でした。
東北の震災と熊本の震災に分けて、この義援金をお送りするとのことです。
ご来場頂いたお客様ありがとうございました。

今日は荒木産業(株)復興応援ライブです♪

荒木5.jpg



■4月23日(日)
■12:00〜15:00
■荒木産業(株)1階エントランス
■生野区巽南4−5−2(新巽中学校 南側)
■お問い合わせ
 荒木産業(株)ライブ事務局
 06−6791−7577

今年で5回目の復興応援ライブです。
ご来場の程、宜しくお願い致します。

明日は荒木産業(株)復興応援ライブですよ♪

荒木5.jpg



■4月23日(日)
■12:00〜15:00
■荒木産業(株)1階エントランス
■生野区巽南4−5−2(新巽中学校 南側)
■お問い合わせ
 荒木産業(株)ライブ事務局
 06−6791−7577

今年で5回目の復興応援ライブです。
ご来場の程、宜しくお願い致します。

久々のリハーサル♪

夕日.jpg


昨日、スタジオへ向かう途中で大きな落日を見ました。最初のインドの旅を終え、デリーの国際空港に向かうバスの車中から見たインドの夕日と同じくらい印象的な大きな落日でした。
リハもバッチリ!!
4月23日は、荒木産業でお待ちしてます。

■4月23日(日)
■12:00〜15:00
■荒木産業(株)1階エントランス
■生野区巽南4−5−2(新巽中学校 南側)
■お問い合わせ
 荒木産業(株)ライブ事務局
 06−6791−7577

荒木産業(株)復興応援ライブのお知らせ。

荒木5.jpg



■4月23日(日)
■12:00〜15:00
■荒木産業(株)1階エントランス
■生野区巽南4−5−2(新巽中学校 南側)
■お問い合わせ
 荒木産業(株)ライブ事務局
 06−6791−7577

今年で5回目の復興応援ライブです。
ご来場の程、宜しくお願い致します。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.84

「名もない駅で」

我々は次の停車駅で飛び降りた。とりあえず駅長室へ向かいステーションマスターに事情を説明すると「君たちはラッキーだ。27時間遅れの汽車が、3時間後にやってくるので、それでデリーへ行ける」と平然と言うのである。私は安堵したと同時に次の質問に耳を疑った。「ところで君たちはインド人かね?」そうなのである。こんな田舎の名もない駅では駅長といえども外人を見るのは初めてみたいなのである。「日本人ですよ」と答えると「アメリカにあるのか?」というちんぷんかんぷんな質問をされる。何はともあれこれでデリーへ行けると思うと急に笑いがこみ上げて来た。この旅でするべきことは全てしてしまったんだ。長い旅だったが、こんな田舎の名もない駅で旅の終わりを実感したのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」第一部 完

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.83

「振り出しに戻るのか?」

アグラーからデリーまで特急で2時間半の距離。11時アグラー発の列車が1時間遅れで入って来た。いつものように人をかきわけ荷棚の上の席を確保。これで一安心と本でも読んでくつろごうとしているとインド人達が「その席は予約してあるから降りろ」と、とんでもないことを言って来る。しばらく日本語VSヒンディー語で言い合いしてると何となく我々の方が分が悪いということが分かって来る。「どこに行くのか?」「デリー」と答えると車内の緊張は一気に溶けた。「カルカッタのハウラー行きだよ」とインド人達が笑い声で声をかけてくる。そうなのだ、我々は逆方向の列車に乗ってしまったのである。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.82

1989.jpg

タージ・マハルにて


「タージ・マハル」

この街はタージ・マハルしかない。タージ・マハルがあるから存在する街。完璧なシンメトリーで圧倒的に存在するタージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが妃の為につくったお墓だというのも驚きだ。「正気の沙汰ではない」と惚けた頭でもそれくらいは分かる。と言うかインド人の勝手にガイドが現れタージ・マハルについて色々説明してくれるのである。「そうなのか」と思った瞬間、勝手にガイドは「50ルピー」と催促してくる。あまりにしつこいので10ルピーだけ渡して黙らせる。

「カルカッタ発 ニューヨーク行き 1989/1999」No.81

「アグラーへ」
この旅でやるべき事を終えた私は惚けてしまっていた。毎日バーニング・ガート(火葬場)へ出かけては、次から次へ火葬される死体を見て一日の大半を過ごしていた。輪廻転生、解脱など様々な思いが去来して、ここからどう動くべきかを探していた。そろそろこの旅も終わりにしようと感じ始め、最後にあのタージ・マハルだけは見ておきたいという気持ちだけがわき起こって来た。そうだ、動かなければ、タージ・マハルのあるアグラーへ行こうと旅心を奮い立たしたのである。
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